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2019年3月29日更新

地区の伝統行事

 3月9日、町内清畠地区の老人クラブと女性部の交流会にお招きいただきました。もう30年以上前から続いている行事だそうで、女性部の皆さんが食事を用意して老人クラブの皆さんをもてなします。食事会が始まる前には清畠地区の昔話などを聞かせていただきながら老人クラブの方々と歓談しました。

 その後の食事会では準備をしていただいた女性部の皆さんと一緒に和気あいあいのひと時です。アルコールもあったのでだんだん口も滑らかになり、大変楽しいひと時でした。食事会も終わりお開きかなと思っていたのですが、別室に移動して再び歓談となりました。最初はコーヒーでしたがそのうちに日本酒に変わり、最後はカラオケ大会で賑やかに終わりました。(私もお粗末な歌声で参加しました。)また来年お会いすることを楽しみにしています。女性部の皆さんごちそうさまでした。

清畠地区老人クラブと婦人部のみなさん

 清畠地区老人クラブと婦人部のみなさん

 

婦人部のみなさんと一緒に

 婦人部のみなさんと一緒に

平成31年3月29日(金曜日)

 


北海道日本ハムファイターズ「北海道179市町村応援大使」決起集会

 3月1日、ファイターズの2019年度市町村応援大使決起集会が開催され、今年の対象となった18市町村の一員として参加しました。当日は、各市町村の応援大使に就任した38選手が参加して、竹田球団社長のご挨拶、18市町村を代表して隣町のむかわ町の竹中町長のご挨拶に続き、中島卓也選手会長から「みんなで北海道を盛り上げていきましょう」という力強い決意表明がありました。

 この決起集会の一番の目玉は、「北海道シリーズ2019 WE LOVE HOKKAIDO」限定ユニフォーム市町村掲出抽選会でした。これは、このシリーズで使用する限定ユニフォーム、キャップ、ヘルメットに付ける市町村名を決めるもので、18市町村のうち当たりは7市町村だけとなっています。ドラフト会議形式の抽選会で、封筒に入ったくじを引き、18市町村一斉に開くというものでした。ファイターズのドラフトにあやかって左手で引いたのですが、残念ながら日高町ははずれてしまいました。しかし、今年1年、念願の市町村応援大使が当たったので、ファイターズをこれまで以上に応援しながら町にも元気をもらいたいと思います。

 日高町の応援大使になってくれた選手は、玉井大翔選手、横尾俊建選手で、決起集会終了後、少し歓談する時間がありましたが、調子はいいとの話で今シーズンの活躍を予感させるものがありました。両選手と握手しましたが、玉井選手はピッチャーなので私と変わらない手でしたが、横尾選手の手は大きく分厚くて、まさにグローブのようでした。

 2019開幕シリーズの3月30日と31日の対オリックス戦に球団から各日100名の招待をいただきましたので、町民の皆さんとバスを仕立てて応援に行きます。

 「驀進 ファイターズ!」

(「驀進」は、2019シーズンのチームスローガンです。)

 

抽選を見守る選手の皆さん

抽選を見守る選手の皆さん

 

玉井選手と横尾選手との歓談

玉井選手・横尾選手との歓談

 

玉井選手・横尾選手と記念撮影

玉井選手(左)・横尾選手(右)と記念撮影

平成31年3月11日(月曜日)

 


新年の恒例行事

 新年の初行事は、元旦の門別温泉「とねっこの湯」での鏡開きでした。菰樽を割った後に(これが私の役目でした。)地元の郷土芸能である「獅子舞」「ほたる太鼓」の皆さんが華やかにお客様を迎えました。この日は正午のオープンでしたが、時間前から並んでいるお客様がいて、あっという間に大勢の人々で賑わい、升酒の振る舞いや餅つきもあったりして、正月らしい光景となりました。

とねっこの湯鏡開き

 新年の行事第二段は消防の出初式です。日高町の消防は、日高西部消防組合というお隣の平取町と2町で構成する一部事務組合の消防組織ですが、1月4日に日高西部消防組合消防本部、富川消防署、日高消防団の主催で行われました。出初式は屋外行事と屋内の式典となっていますが、屋外では日高町消防団の車両を含む分列行進があり、拝見していて大変頼もしく思ったものです。屋内の式典では、永年消防業務に従事されて消防職員・団員の方々の表彰も行われました。新年早々の行事で、これまでのご功績を称えるというのもいいものだと感じました。

 余談ですが、私は消防組合の管理者という立場で、初めて着る消防の制服に身を包み分列行進を観閲しましたが、やはり人間は制服を着用すると、特に消防のような制服では身が引き締まる思いがしました。(ちなみに敬礼するのも初めてだったので事前にトレーニングを受けました。)

消防出初式

 次なる新年の行事は成人式です。日高町では1月13日(日曜日)に94名の新成人が出席して開催されました。全国には荒れる行事となる成人式がある中、私も挨拶をする機会がありましたが、静かに話を聞いている新成人の態度に感心するやら少し驚くやらでした。2019年日高町応援大使となった北海道日本ハムファイターズの玉井大翔選手、横尾俊建選手からお祝いのビデオメッセージが届けられ華を添えてくれました。式の最後には私も入れてもらって新成人全員で集合写真を撮りましたが、この時ばかりは賑やかで熱気のある撮影会となり、若者はこうでなくちゃと一人で何となく納得したものです。

成人式

 今年は5月に新天皇が即位され、それに伴い改元が予定されており、平成という時代の最後の新春となりました。年号が変わるというのは、何か時代の節目となるような気がします。今年は統一地方選挙と参議院議員選挙がある12年に一度の選挙イヤーであったり、秋には消費税が増税される予定などがありますが、果たしてどんな節目の年となるのでしょうか。昨年は、北海道胆振東部地震で日高町は被災町となったので、今年は少なくとも災害のない穏やかな年であることを願っています。

平成31年1月31日(木曜日)

 


北海道日本ハムファイターズ 栗山監督来訪

 12月1日、北海道日本ハムファイターズの栗山監督が日高町に来訪されました。胆振東部地震の被災地訪問とのことで、安平町、厚真町、むかわ町の福祉施設、学校などの訪問にあわせて訪ねていただきました。当町では胆振東部地震により大きな地割れが起きてレフトからセンターにかけて崩落の危険性があったため、やむなく照明塔や外野フェンスを撤去した富川球場を見ていただきました。(この球場は外野が盛土で作られた高台にある球場で、その20m下には住宅があります。)

 この日は風が強くとても寒い日で、栗山監督と震えながら同じ場所で球場が再開できるか調査をしていることなどを話しながら球場を見て回りました。短い時間でしたが監督の温かく誠実なお人柄を感じました。

 ファイターズといえば、球団が実施する来年の北海道179市町村応援大使2019の対象市町村に日高町が選ばれました。この制度ができた当初から名乗りを上げていてようやく希望がかないました。去る11月24日に開催された「ファンフェスティバル2018」において抽選会が行われ、日高町からは野球スポーツ少年団の選手が抽選に臨み、結果は、玉井大翔選手、横尾俊建選手、ブランドン・レアード選手を引き当てました。この中でレアード選手は去就がはっきりしていませんが(栗山監督に聞いたのですが「私もわかりません」といっていました。寿司をたくさん御馳走するので残ってくれませんかね。)日高町の2019年応援大使になってもらった選手との交流など、来年はますますファイターズへの応援に力が入る年となりそうです。

被災した富川球場を視察された栗山監督

被災した町営富川球場を視察された栗山監督

 

 12月10日、北海道日本ハムファイターズ様より、2019年応援大使等身大パネルとサイン入りユニフォームをいただきました(都合により、レアード選手は不在です)。現在は役場本庁舎(玄関フロア)に展示しておりますが、今後は町内を巡回する予定となっていますので、楽しみに待っていてください。

応援大使等身大パネル

玉井選手、横尾選手の等身大パネルとサイン入りユニフォーム

平成30年12月10日(月曜日)

 


周年記念行事ラッシュ

 今年は平成30年という区切りの良い年ですが、町内でも創立などから一定の区切りを迎え、周年行事を実施した学校等が多くありました。日付の順番でご紹介しますと、9月30日-厚賀中学校統合50周年、10月6日-日高高校創立70周年、10月13日-富川高校創立70周年・陸上自衛隊日高分屯地創立50周年と続きました。これを契機に益々の発展を心からお祈りしています。

 こうした周年行事が続いたので、今から70年前、50年前はどのような時代だったのか、特に70年前は私もまだ生まれていませんので少し調べてみました。70年前の昭和24年(1949年)の出来事にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)という言葉が結構出てきます。たとえば、1月GHQ日の丸の自由使用を許可、4月GHQ1ドル360円の単一為替レート設定、11月GHQの許可によりアドバルーン復活などです。まだ戦後処理が続いていた頃で、日本が連合国に管理されている部分があったことがわかります。

 一方で新しい動きも多くあり、通商産業省・郵政省・電気通信省・地方自治庁・総理府などの役所が設置されたり、日本国有鉄道・日本専売公社もこの年に発足しています。このほかにも「成人の日」、「母の日」が制定されたり、東京消防庁が火災専用電話119番を設置、お年玉付き年賀はがきの発売が開始されており、戦後の日本の再スタートの時期でもあったのかもしれません。ちなみに当時の流行歌は「青い山脈」「銀座カンカン娘」「悲しき口笛」など、流行語は「筋金入り」「つるしあげ」、「ワンマン」など、物価は、たばこ(ゴールデンバット)15円、カレーライスが80円だったそうです。

 さらに町外では、苫小牧信用金庫創立70周年、中央競馬函館馬主協会創立70周年、同札幌馬主協会創立70周年という周年行事にもお招きいただきまして、70年前というのは色々なことが始まった時期だったことを認識しました。

 

厚賀中学校統合50周年

厚賀中学校統合50周年記念式典「在校生と来賓・OBとの合同合唱」

 

日高高校創立70周年記念式典

日高高校創立70周年記念式典「日高高生による日高山岳太鼓」

 

富川高校創立70周年記念

富川高校創立70周年記念式典「吹奏楽部による演奏」

 

日高弾薬支処及び日高分屯地創立50周年記念式典

日高弾薬支処及び日高分屯地創立50周年記念式典「ビンゴ大会の様子」

平成30年11月15日(木曜日)

 


震災復旧に取り組んでいます

 9月6日の北海道胆振東部地震の発生以来、40日が経過して全体の被害の状況も大分固まってきました。道路、河川、上下水道、建物など町の公共施設にも大きな被害を受けたものがあり、町では被災した公共施設の復旧に向けての取り組みを開始しています。中には富川球場のように現在の場所で再開できるのか詳しい調査が必要なものもありますが、1日も早い復旧を目指してまいります。

 一方、一般の住家被害は、現在、全壊2棟、半壊48棟、一部損壊340棟となっておりまして、日高町においても今回の激震により多くの住家が被害を受けました。改めて被災された皆様にお見舞いを申し上げます。町では住家に半壊以上の被害を受けられた方に「平成30年度北海道胆振東部地震災害被災者に対する見舞金支給条例」に基づく見舞金をお贈りするほか、災害救助法・被災者生活再建支援法など国の制度を活用した支援にも取り組んでいます。

 こうした中、町内外から義援金も寄せられています。先日、札幌市在住の小竹正剛様(写真右から4人目)から札幌市、北広島市、安平町、厚真町、むかわ町、そして日高町に義援金贈呈の申し出をいただき、10月6日、オープンを翌日に控えた「札幌市民交流プラザ」で贈呈式が行われ、日高町にも2000万円という多額の義援金をいただきました。また、このほかにも日高町とご縁のある法人などから義援金をお寄せいただいており、そのご厚志に厚くお礼申し上げる次第です。

被災された皆様が1日も早く元の生活に戻られることを心から願っています。

平成30年10月17日(水曜日)

贈呈式にて小竹夫妻と6市町長


北海道胆振東部地震 ~一日も早い復旧・復興に向けて~

 9月6日午前3時8分頃、胆振管内中東部を震源とする大規模地震が発生し、厚真町で最大震度7を観測しました。日高町も震度6弱というこれまで記録したことのない揺れを経験することになりました。皆さんも真夜中の突然の地震に驚かれたことでしょう。私もすぐに目覚め回りを確認しようとしましたが、タンスが倒れたり食器などが散乱したりですぐには家の中の様子がわかりませんでした。

 幸い津波はなかったのですが、地震発生直後には停電となり、町全体の被災状況が把握できない中、最初に取り組んだのは避難所の開設でしたが、津波を警戒して避難所開設前にすでに車で避難されている方もいました。避難所は最大で9か所に設置し、避難された方は延べ1208人となりました。

避難所の様子

 今回の地震災害対応の初動に当たり一番困ったのはやはり停電です。最初に固定電話が使えなくなり、防災行政無線もバッテリーが切れた時点で使用不能、携帯電話も基地局に電源が供給されないため徐々にダウンしていき住民の皆さんに情報を伝える手段が奪われていきました。避難所に食事も当初は備蓄していた非常食で賄い、その後に弁当などをスーパーやコンビニに手配しようとしたのですが、全道的な停電であったため工場からの供給がストップしたことから食糧確保が難しくなりました。幸い町内の日高地区(飛び地合併で平取町を挟み約60km離れている)が地震の被害が少なく電力も確保されていたので、こちらから食事を供給してもらいました。

 当初もう一つの大きなトラブルは断水でした。地震直後から浄水施設の損壊、水道管の破断などで町内の広範囲で断水となり自衛隊に給水支援をお願いし、結果的に19日まで支援を受けました。水道の復旧には時間を要してしまい、特に復旧が最後になった富川西地区の皆様には大変ご迷惑をおかけしてしまいました。

自衛隊の給水

 自衛隊には給水支援のほか、町営温泉「とねっこの湯」が被災して営業できなくなったため入浴支援もお願いすることになりました。9日から17日まで富川東防災広場に「熊乃湯」を開設してもらい、2300人を超える方の利用がありました。

熊の湯

 地震後それぞれのご家庭で後片付けが始まると災害ゴミの処理に取り組まなければなりません。この災害ゴミを受け入れるため当初は町内10か所に集積所を設けましたが、またたく間に埋まってしまい途中からは富川東防災広場1か所に集約することとしました。今後、大量の災害ゴミの迅速な処理が課題です。この対応をする中でただ一つ残念だったのは、明らかに災害ゴミではないものがかなり含まれていたことでした。

ゴミ集積場の様子

 地震発生後、日を追うにつれて被害状況が明らかになってきました。今回の地震は震度6弱という激しいものであったため住宅の被害も多くありました。今日(9月30日)現在、まだ罹災証明を受け付けておりますが今後も増える可能性があります。大きな被害を受けた方には見舞金の支給のほか、様々な制度を活用して復旧の支援を行っていきたいと思います。町の施設でも被害がありました。体育施設の機能を持った富川青少年会館は倒壊のおそれがあったため緊急に取り壊すことになったり、高台にある町営富川球場には大きな亀裂が生じ、下にある住宅に向かって崩れる可能性が出たため、地面にかかる負荷を減らすことを目的に照明塔やフェンスを撤去しました。球場は地質調査をして根本的な対策を考えます。

球場の亀裂

 もちろんこれ以外にも様々な被害があり震災対応はいまだ途中ですが、それでも現在はようやく一段落したという状況です。今回の地震災害では、北海道開発局室蘭開発建設部、北海道日高振興局、陸上自衛隊、日高管内各町、日高西部消防組合、門別警察署など、関係各機関から様々なご支援をいただきました。本当にありがとうございました。

 引き続き1日も早い復旧・復興に努力してまいります。

平成30年9月30日(日曜日)

 


全国優勝おめでとう! ~全国小学生ABCバドミントン大会~

 全国優勝した溝尾花奈さん8月10日~12日に熊本県八代市で開催された第19回ダイハツ全国小学生ABCバドミントン大会女子Bグループで優勝した溝尾花奈(みぞおはな)さん(日高小学校4年生)が8月20日(月曜日)に大会の報告に来てくれました。花奈さんは道内で行われた予選を勝ち抜き、南北海道の代表として大会に臨んだのですが、決勝戦を含めた5試合をすべて2-0のストレート勝ちという抜群の戦績でした。

 私も知らなかったのですが、この大会はトッププレイヤーへの登竜門として知られている大会で、過去には高橋礼華選手、松友美佐紀選手というオリンピックに出場経験のある選手が優勝したことがあるとのことです。花奈さんに見せてもらった優勝カップ(立派なカップでした)にも二人の選手の名前が刻まれていました。ちなみに女子Bグループとは小学校3~4年生の競技で、来年は小学生5~6年生の女子Aグループに出場するとのこと。

 今年の次なる目標は、12月に東京都で開催される全日本小学生バドミントン選手権大会に出場することだそうですが、勿論ただ出るだけではなく上位を目指すことになるでしょう。2020年の東京オリンピックはさすがに無理ですが、その次の大会には日高町からオリンピック選手が誕生するかもしれません。楽しみですね。

平成30年8月22日(水曜日)

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